記者会見に向けての会長声明文
兵庫県庁に於いて公開されました
日本劇作家協会会長 坂手洋二
会見にお集まり頂き、ありがとうございます。
実に九年ぶりに、劇作家大会を行うことになりました。
今回の〈こうのとり大会〉の開催については、南河内万歳一座の内藤裕敬さんが数年前から豊岡市で市民の皆さんと演劇創作を行っており、市の決定した〈城崎国際アートセンター〉の立ち上げと共に〈劇作家大会〉の開催ができないかという話になり、やってみないか、と連絡してきてくれたことが端緒です。
さらに同センターのアドバイザーに平田オリザ氏が就任、いい風向きになってきたと思いました。
豊岡市におもむき、中貝市長に初めてお目にかかり、こうのとりを育んできた地域の歴史をうかがい、ああ、このタイミングでこの場所で大会を開催できることは、私たちの現在にもっとも相応しく、ありがたいことだと思いました。一度は途絶えかけた〈こうのとりの里〉の歴史が、豊岡の皆さんの誠実な熱意によって蘇り、その命脈を繋ぎ、現在に花開いている姿。
それこそが、アーティストたちが〈レジデンス〉=滞在制作の時間を得ることによって大きく羽ばたく、あるいはもう一度生気を取り戻す=〈再生〉する、その過程に通じると思ったのです。
私は個人的にこの大会を〈こうのとり大会〉と呼ぶことにしました。
〈劇作家大会〉のスタートは、1994年9月、北九州市で開催された〈日本劇作家大会’94〉でした。北九州市から同市立芸術劇場設立に向けて、創作にまつわる事業の必要性をアピールするための事業を相談されたところから始まっています。
北九州市のリクエストに応え、当時はまだ稀少だった「ワークショップ」、演劇関係の教育・講座、地域の演劇の交流と掘り起こし、そして「創作型」事業の重要性をアピールするという役回りを果たし、また、その広がりを促進しました。日本中の演劇にまつわる環境についての、まさに〈革命〉でした。
同様に、今回の〈こうのとり大会〉では、〈城崎国際アートセンター〉のアイデンティティ、まだ日本では馴染みの少ない〈アーティスト・イン・レジデンスの重要性を、多くの人たちに説得力をもってアピールできると信じています。
「劇作家」という職業の内実が一般に理解されにくかった当時、劇作家の存在意義をアピールするイベントが必要でした。それが〈劇作家大会〉です。
大成功を収めた北九州大会では、劇作家協会新人戯曲賞の前身となる「新人戯曲コンクール」を行いました。公開審査と最終候補作の戯曲集刊行は継続され、2014年で20回目を迎えています。
大会での講座の充実から発展して2001年から「戯曲セミナー」も始めました。
大会の場で、考え、行動する劇作家のスタンスが定着、上演料等の権利の問題、表現の自由に関する活発な活動に繋がりました。
何より、各地の劇場や文化団体とのやり取りの中で育んだ広がりと実践力が、2009年にオープンした〈座・高円寺〉との提携関係に結びついたのです。
この間、劇作家協会が民間の側から〈演劇の公共性〉というテーマを打ち出してきた存在感は、めざましいものがあったと思います。
今回の大会を機に、長く望まれていた協会のロゴマークもできて、それが記された協会会員証も初めて発行することになりました。
〈こうのとり大会〉は、これまでとはひと味違う大会になるはずです。いろいろ試行錯誤中ですが、大半は今までの大会を知らない世代が担うことになります。若い人たちが集まれる態勢になってきていると思います。「世代交代」が確実に果たされているのです。
今までの大会を知る人も、そうでない方も、大会に集まっていただきたい。多いに語り合い、刺激しあう四日間にしたいと思います。